【映画】「レメディ」 日々の仕事としての支配と服従を描いた作品

以下は、Slixaというウェブサイト(エスコートの宣伝とセックスワーカー運動関連の記事を載せてる)の記事を一部翻訳・要約したものです。映画の公式サイト

筆者 Chris Hall氏

チェイェン・ピカルド監督(お名前の読みは自信ありません)の映画タイトルでもあるRemedy の主人公「レメディ」はニューヨークの格安SM店で働く若い女性であるが、本作品はセックスワークそのものを扱ったものではなく、見返りの少ない仕事をこなす個人の物語である。本題は「労働」であってセックスではない。ここを見逃してしまう人は多い。

この国の「労働」そのものに対する正直な議論がされないかぎり、セックスワークに関する正直な議論はありえない。メディアに反乱するセックスワークが元来搾取的なものであるというお涙頂戴物語が繰り返し消費されているが、21世紀のアメリカではほとんどの労働がそんなものなのである。ウオールマートのレジ係であろうが、ニューヨークでSMの仕事をしていようが。 この30年間、多くの米国人にとって賃金の低下が続いただけでなく給料を受け取るためだけに労働者がどれだけハラスメントに耐えなければならないかがますます明るみになってきた。 ある人々にとっては、労働はいまだ経済的な安定と地位の獲得への道であるかもしれないが、我々のうち多くは払えもしない借金、信用情報の悪化、継続的な失業やその場しのぎの仕事しかないのが現実である。

観客はレメディの普段の名前を知ることはない。映画はすぐに面接と同僚の紹介のシーンに入る。そこから先も、ほぼ待機しているか客とセッションしているかのシーンだけで構成されている。基本的な構造はアダルト映画と同じく、セックスシーンの合間にワーカーたちがくだらないおしゃべりをしたりレメディが地下的に乗って帰宅したりするシーンが挟まれる。ただしアダルト映画と違うのは、どのシーンも官能的ではないことだ。

面接では自分が私生活ではMであると名言するのだが、いざ仕事に入ると参ってしまっている様子だ。

象徴的なシーンはは映画の中盤でビジネスマン風の客がやってきて、はじめは完璧に見える振る舞いをする。丁寧な挨拶をして、レメディの好きなことや嫌なことを確かめ、お互い無理のないようにやろうと提案するのだ。レメディがあまりハード屈辱なプレイはいやだと伝えると納得した様子も見せた。エンタテイナーを扱う際の見本のような行動だ。言ってしまえばウエイトレス、クラーク、メイドなどあらゆるサービス業従事者に見せるべき敬意とはこういうものだ。

いざセッションが始まると問題が起こる。結局初めから最後まで屈辱プレイに費やされるのだ。「おれの好みの服を着て来いといっただろ、なんだその安っぽい格好は」。身体的な痛みを伴うプレイはほとんどないが、発せられる言葉のひとつひとつが怒りに満ち軽蔑的で、レメディがまったく仕事ができないと自分で感じされることを目的にしたような言動なのである。乳首を舐めろという命令を拒否すると、「いやなのか?」と少しトーンを和らげる客、レメディがうなづいて「うん」と答える、「馬鹿じゃねえの?」客がふたたび強い口調に戻る「お前は淫売なんだよ」。

このシーンは見るのがつらかった。自分が感じてることとレメディが感じているであろうこと、監督の意図を分けて考えるのが難しかった。私はSMを描写した作品では、性的なファンタジーと日常的な現実の線引きがはっきりしているものを好む。

このセションのあと、レメディはPTSDの症状を見せ始める。映画が終わるまで、この客のことが何度もフラッシュバックされ、ほかのセッション中、明らかに解離症状に悩まされる。

ここまでみると、このストーリーは性産業廃止論者の好むもののように見える。そう見たければ、そう見ることができるだろう。しかし、このビジネスマン風の客やその他の客がどれだけひどい行いをしようと、レメディの抱える真の問題はそこではない。問題は、セッションが終わると孤独になることだ。店長はパソコンに釘付け、同僚は客をひやかしたり客のゴシップしか言わない。

レメディがついに泣き崩れ、トイレに閉じこもると、店長が言い放つのは「脚本が返金を求めなかっただけマシだ」という言葉だった。

これが私がセックスワークの話をする前に労働の話をしなければいけないという理由だ。セックスワーカーをエキゾチックな他者として見るなら、レメディのストーリーはたしかに「墜ちた女」の物語だろう。だけどファーストフードや飲食店、法律事務所、IT系ベンチャーで働く労働者もみな似たようなことが理由でトイレで泣いているのだ。精神的な虐待と低賃金はアメリカの労働現場では制度化されている。かつては存在した法的保護がなくなったり実行不可能になるのに伴って。レメディが直面することと同じ理由でセックスワークで燃え尽きてしまった人をたくさん知っている。しかしデバートで働いていた時には不可能であった虐待的な客を拒否したり、店長に文句を言うことなどができるという理由のために業界に残った人々も知っている。レメディの置かれた状況はセンセーショナルでもでもエキゾチックでもない。普段いやな仕事に耐えている私達の物語なのだ。

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