8/26 わたしの「フェミ的」@poetory in the kitchen

先日の『わたしのフェミ的』イベント(模索舎主催)@ポエトリーイン・ザ・キッチンは多くの方のご協力(ほんとに!)、参加のおかげて、楽しく、無事に終えることができました。 簡単に報告をしたいと思います。


実を言うと当日話す内容について、自分の中でも直前まではっきりきまらず、汚い字の走り書き+イラストのメモをみなさんにくばることになりました。内容はPMS=月経前症候群と医学の用語で説明される月経周期の中のホルモンの変化によってからだやこころが感じる「症状」をめぐって、本人の経験とまわりの社会との関係について「医療化」という言葉をつかって話しをさせてもらいました。PMSと労働規律
各症状は労働で求められる規律のためにホルモンを調整して「治療」しなくてはいけないのか?労働がPMS持ちにあわせた規律に「治す」ことは?
PMSと怒り
夫を殺して「PMSだった」と考慮されて実刑を逃れたひとたちの話が本になっているよう ですが、PMSの「症状」としていらいらしたり怒ったりするという経験を本人がみとめたとき、その怒りは実体をともなわないのでしょうか?つまり「本当は」怒っていないのでしょうか?


そんなような質問をした上で、からだやこころは「いつもと違う」期間について、「ホルモンが異常」だ、「不具合だ」といったり言われたりするよりも、「いつも」どれだけ無理をしたか、我慢したかが素直にこころとからだに現れる時期と見ることはできないでしょうか。思い切って言うとPMS期は「正直週間」なんじゃないか?いつも怒り足りないひとが怒ることができる時期。不本意に人に当たることも、不快な症状な出ることもあるでしょう。でもそれはかならずしも「駄目なじぶん」になる時じゃなくて、からだやこころが「もっと大事にして」といっているんじゃないか。というような趣旨の話をしました(うまく伝わったかどうかは謎ですが。)その後映像をみました。

50年代アメリカのプロパガンダをパロディにして、PMSの大衆イメージをおもいきり誇張したビデオ。とりあえず会場の笑いはとれて休憩となりました。後半は水島さんが女性の健康運動の文脈のなかでセルフヘルプの実践として生まれたDEL-emの話、中絶技法の比較から見えてくる医療の言葉としての「中絶」の概念と本人を中心にすえた健康のための実践として考える中絶やそれをめぐる関係について話をしてくださいました。実際はテンポのいい司会者によって3人でひゃりとりしながらすすめられました。そしてもうひとつビデオを見ました。

女性のマスターベーション・コーチとして有名なベティ・ドットソンがクリトリスの内部について話しをしながら絵をかいていいきます。(あとでまた補足をします)

当日はダンボールのおうちでお子様たちが遊び、Song for you+参加者のさしいれ、酵母サイダーでおなかもいっぱいになりました。

おつかれさまでした!

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