6/30 模索舎イベント報告/DIY性教育

6/30(土)新宿の本屋模索舎でおこなわれたイベントはおかげさまで楽しく過ごすことができました。テーマが幅広かっただけに、はじめはみんな何を話し たらいいかわからないかんじでしたが、特定の「病気」や症状、不調に限らず、からだとの関係についてお互いの話から刺激しあっていくと最後には話しが尽き なくなっていました。来てくださったみなさんのおかげです。またすぐにでもこういうことやりたいです。ありがとうございます。以下はみなさんにおみやげと して渡した読み物。ALL ABOUT MY VIGINAから。

性教育をやるDoする)こと
DIY sex education     
         
以下はカナダ在住の「ALL ABOUT MY VAGINA」(http://myvag.net/)といサイト上で、個人の経験に強く基盤をおき、性やヴァギナもちのからだへ向き合い方や健康管理の仕方を探求しているサラ(Sarah Mundy)という人がExploring Healthy  Sexuarities Conference(健康的なセクシアリティ(達)を探求する)というイベントでDIY sex educationというテーマで話しをした内容の簡単な訳です。 
この文章では性教育を主に扱っていますが、からだ・健康・医療のことを個人がどうにかしようとする時にでてくることにも大抵あてはまるものだと思いますし(そもそも「性」はからだ、健康・医療ときっても切り離せないものですが)、「性教育」を「健康」「からだ」「医療」に置き換えて読んでみても面白いと思います。
 きわめて機械的な翻訳であり、はなしてもきた内容もアメリカ文化(あるいは西洋・西欧?)の文脈に依存しているところも多くあるので読みにくいと感じるかもしれませんが(私もよくわからなくて省略した部分があります)、わかることなら応えます(あるいは調べます)ので遠慮なく言ってください。


(冒頭あいさつ省略)
私がDIYセクシュアリティ教育というとき、一人でしなきゃいけない性教育という意味ではありません。それは自分なりのやり方で、家で、友達と、素人として、安く、あるいは無料でできるということを意味しているのです。
このような独立した、素人の教育は性教育に役立つ一部であるだけではなく、私が考えるのは、一番いい性教育の種類で、もしかしたら実際に効果のある唯一の方法かもしれないと思います。
それぞれの学校が現実的で包括的、そして前向きな性教育プログラムを実施していたとしても、それは現状とは違うのですが、私たちはそれでもDIY教育で補完する必要があります。
人々は多様で、セクシュアリティはとても個人的なことーある人が知る必要があることが、その友人たちには全く関係が無いというようなことーになりえます。ですから性教育は必要に応じて変えたり、私たちのそれぞれに違う風にあたえられる必要があります。
仮に私たちが巨大な、個人にあわせた、複数の選択肢がある性教育プログラムを学校で受けられるにしても、健康的な性との付き合い方やセックスの安全性はいつでも情報が新しくなっているので、私たちは生きている間ずっと新報についていかなくてはいけなくなります。一度性教育を受けて、やることのリストをチェックしてそれでおしまい、というわけにはいきません。それでは正確さを保てません。
私は幸運なことに前向きで包括的で現実的な性教育プログラムを高校で受けることができました。そこで私がマスタベーションやオーガズムについて学びました。副校長は女性外性器の絵をはって、クリトリスを指して「これは女性がオーガズムを得るために刺激するところです」と言いました。


そしてこの素晴らしいプログラムがあっても、すべての種類の情報は私が最後の性教育のクラスを受けてから変わっています。私が学校にいたころ、Nonoxynol-9をつかって殺精子剤で潤滑されたコンドームはさらなる確実な避妊と感染症予防のためにA+レベルだとされていました。いまではN-9は実は粘液の細胞膜を刺激することで余計に感染しやすいことが知られていますので、もう勧められていません。私が学校を卒業したあと、デポプロヴェラという注射の避妊法が人気になりましたが、後に骨密度の低下を招くことがわかり、もうあまり勧められていません。性に関する情報はいつでも変化しています。
このようなアップデートにくわえて、性に関する情報への必要性も時とともに変わります。受胎調節がいい例です。避妊をする十代には、もうこれ以上子供の欲しくないと考えている親とはちがった優先事項があります。あるいは長いつきあいのふたりがモノガミーの枠組みの外でセックスの安全性について考えなくてはいけない時、最良のガイドラインは最後に自分たちが確かめたときから発展していることでしょう。
なので、性教育が継続的なまなびであること、私たちみいながやることであって一度手に入れてお終いとはいかないことは明らかになってきます。このイベントの名前「セクシュアリティを探索する」とは性教育を考える上で役に立つ考え方で、一度きりの資格であるよりもずっとつづく探索の過程であるという意味いおいて素晴らしいものです


この一生つづく、自分たちのために性教育を「する」という過程に注目すると、性教育の一番重要な部分はどんな事実や情報でもないということがわかります。なぜなら、わたしたちはそれぞれ少し違った事実のまとまりや情報を必要とするし、それらの情報もどちらにしろ変化するだから。性教育の一番重要な部分は人々が性教育を(じぶんたちで、じぶんたちのために)しつづけ、どうやるかを自分たちでみつけるように勇気付けることです。
ていうのも教育の世界のよくある決まり文句なんだけど!教師は「私たちはあなたたちに物理を教えているのではありません、どうやって学ぶのかを教えているのです!」みたいなことを言うのが大好きです。この大学にもきっとどこかに「ビクトリア大学の本当の目的はあなたにどうやって考えるかを教えることです」とかいてあるパンフレットがあるでしょう。
 それが基本的な私が性教育について言っていることです。ただしわたしは人々がそれを他人ぁら教わる必要はないと思ってます。私は人間はみな学ぶ機械で、わたしたちは学びつづけるための資源とサポートが必要なだけだと思います。
 

「性教育は「性教育をやる」ことをつづけるために勇気づけられることです」ということを言うとき、勇気づけることと学ぶことの内、あまり注目されない部分があります。それは教えるために勇気づけられるということです。
 教えることはDIY哲学の大きな部分です。単に「自分でまなべ」ということではなく「じぶんでやる」なのです。性教育の中には大部分が本や映画、友人との会話の中から自分で自分に教えるということがあります。それをやるとき、私たちは自分たちに性についておしえているのです。私たちは性教育者になっています。
 私たちはいつでも他のひとにも教えています。私たちは自分たちのパートナーに何が好きでなにがしたいかを教えます。たくさんの人びとがコンドームの使い方や潤滑油の選び方といった実践的なことをパートナーに教えています。子供がいる人はもちろん性について教える立場にあります。たくさんの人が友人に何かを教えて、お互いからまなびます。地域や職場でさえ、それだは起こりえます。私は一度上司に「おとこ」もバイブレーターを使えると教えることなってしまいましたったことがありました。彼が携帯着信を「バイブ」に切り替えて、振動を止めることができなかったことがありました。その時かれは怒って「この電話はバイブレーターだ!助けて!これはおんなの電話だ!」と叫んだのです。ということで堅苦しい仕事場でもセクシュアリティについてお互いを教えあうことになってしまいました。
私は教師という職業について語っているのではありません。これは誰もがやっていることです。なぜならわたしたちは社会をつうじて生きていて、お互いから学んでいるからです。
他のどんな話題よりも、私は性教育が人々に「じぶんたちでやる」(DIY)ことを促すものだと思います。少なくとも、進歩的な性教育はそうです。私が進歩的な性教育というとき、セックス・ポジティブとか、フェミニストとか、包括的なとか、現実ベースの、などなどと呼ばれるものについて話をしています。私はこういう種類の性教育は進歩的であるという分け方ができると思います。
  進歩的な性教育は。思いやり(あなたに幸せになって欲しい、あなたが間違いをしたときにサポートする)、責任(自分の世話をして、他のひとの世話もすること)という意味において、健康的なセクシアリティを特徴づけると思います。
もっと否定的な、保守的なセクシュアリティの理想は規律(ルールをまもって、ルールに従って競争して、間違いを罰せられること)にもとづいています。
 私の個人的な価値観に当てはまることを別としても。進歩的な性教育はよりうまくいきます!それは持続的なのです。あなたが別のだれかに責任をもつことが出来るように助けるたびに、相手はもっとお互いを助けることに責任をもつようになります。これと比較して、保守的な性教育は不安定になりがちです。なぜなら他のひとのルールに従うのは時にイライラしてするものだからです。結局ルールを破ることになり、その人たちは安全ではなくなってしまします。なぜならルールが唯一安全を保つものであるからです。これは大変な混乱状態です。
ですから人々を勇気付けることが明確なのは進歩的なセクシアリティの資料です。これは驚くことではありません、なぜなら多くのセクシアリティの情報は自助(セルフヘルプ)やフェミニズムや人権など平等をめざすうんどうから直接出てきたものだからです。.
フェミニズムは性教育にたくさん貢献してきました。女性の快楽のための技術、リプロダクティブヘルスへの壁とそれをどうするかについて、性に関する医療への壁とそれをどうするかなどなど、たくさんのことです。
 クイアの権利、ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスの運動はじぶんが定義する性のアイデンティティやジェンダーアイデンティティについてのたくさんのアイデア、そしてたくさんのセックスの安全性(Sex Safety)のための技術を提示しました。クイアの活動家たちはエイズ予防のためにコンドーム使用を促進した最初のひとびとです!

 障がい者の権利運動は性教育にとってとても大きな存在です。自分のニーズについてコミュニケーションをとることについてたくさんの洞察、出産する権利や優生主義的なちゅうぜつの両方におけるリプロダクティブライツの議論などが生まれました。
 とにかくたくさんです!話そうと思えば、年長者の活動やセックスワーカーの権利などまだまだなんでも話ができます。だれかが平等になるとき、いつでもすべてのひとが健康的なセクシュアリティのためのヒントをもらいます。だれかが平等になるとき、わたしたちすべてが新しいセクシュリテュアリティの情報資源(とっておきの手)を得ます。
現在ある効果的な性教育への大きな壁のいくつかは平等、特に若者の権利に結びついています。
学校での包括的な性教育を行うことを妨げる大きな問題のひとつは、若年者は性を追求することとセックスを行うことをを許されていないことです。このことは基本的に若い人が本人にとって安全で前向きである方法で、他の人と同じように性的になったりセクシュアリティを探求する権利があるかどうかという質問であります。
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私はこの質問に「はい、あなたは同じように性的になる権利があります。」と答えずに若者向けの性教育プログラムを行うことはできないと思っています。
私はこのことから何が生まれるかを見てみたいと思っています。なぜなら、それは性的になること、セクシュアリティをもつことがどういうことであるのかの幅広い、良い定義を含むはずだからです。もし私たちが性的に活発でない子供や十代の若者を含めるなら、セクシュアリティはじぶんのからだに良い気持ちをもって、じぶんじしんのセクシュアリティを理解することなども表すはずだからです。8歳のこどもにとって性的であるとはどういうことか、そしてそのうちのいくつかが大人としての私にとっても興味深いものであるかどうかを問う必要があります。誰かがもっと平等になるとき、みんなが洞察力を得ます。
セクシュアリティに関連があるだけでなく、若年者の権利は私が性教育ととても関連があると間あげる教育の方法、学ぶこと教えることについての考えにもたくさんのをことを暗示しています。
若年者の権利についての情報を探すと、多くがモンテッソーリメソッドやモンテッソーリ学校を作ったマリア・モンテッソーリ(Maria Montessori)や、『民主主義と教育(Democracy and Education)』を書いたジョン・デューイ(John Dewey)のような人々の考えの中の教育改革の分野にいきあたります。教育改革者の本を読むと、彼ら/彼女らは学校について話をしていますが、そのうちすべての人は生まれながらにして投票権をもつべきであるとか、いろいろな種類の若年者の権利についての考えについて書いてある章にいきあたります。
彼らは学校が若年者にとって明らかに抑圧的である様式について書きました。たとえば子供が殴られて自分たちが学ぶことについて意見がいえないといったことです。しかし彼女らは人間関係の本質的な権力や権威主義、権威者としての教師、生徒を力づける方オフ等についてもはなしをしました。
それが私が性教育にとって興味ふかいと思う部分などです。私たちすべてがつづいていくじぶんたちじしんの性教育を「やる」ために勇気づけられる必要があるならば。
 私のお気に入りの、教育が人を力づけるに権威を促進してしまうということの一番砕けた説明はジョン・ホルト(John Holt)のものです。彼は1970年代に本を書き、ホームスクーリング(家庭教育)とアンスクーリング(正規の学校教育の外で行う子供の教育)の運動を鼓舞した。彼は私たちが専門家から学ぶとき、私たちは教育が専門家から得られるもので、日常生活の中で学ぶこととは別物だと考えるようになるといいました。彼は専門家が私たちに何を教えようとしているとしても、結局彼ら/彼女らは私たちを教育する必要があると考えており、それは私たちはじぶんたちで学ぶことができないということを暗示しているといいました。
現在、性教育には専門家がいて、その分野には権威もいます。これらの人々は誰かが「だれが性教育を「する」のか」と訪ねたときに思いつく人たちです:たとえば、親、教師、医者、そして博士やプロの教育者、本書き、有名人などの幅広い権威者など。
性教育はセルフヘルプムーヴメントから出てきたもので、勇気づけ(エンパワメント)が必要だということを明確にしているので、性教育の専門家は権威をオーラを弱めるためにいろいろな努力をします。セクシュアリティの本はたいてい自分で管理して、権威者のいう事を聞かず、じぶんじしんでやるようにという激励を最初の方に書いています。Our Bodies, Ourselvesやその後を追った他のたくさんの本は権威者からのアドバイスだけをのせる代わりに一般の人々からの逸話や引用を載せています。
しかしそれでも人々はしばしば性の専門家のいいなりになり、性教育はプロのアドバイスが必要だという意見を持つようになる。わたしは自分たちがすでに知っていることについて、専門家の太鼓判をもとめるようなeメールをよく受け取ります。そのひとたちはじぶんじしんのからだや観察を信頼したくないのです。そのひとたちは「そうです、それがオーガズムです」、とか「いいえ、そのことはあなたがゲイであるということを意味しません」ということを専門家に言って欲しいのです。
私は特別な訓練を受けていないのに人々は時々私を専門家と呼びます。ジェニファー、ヘイディーあなた達も時々性の専門家とよばれるんじゃない?(ジェニファー:うん、すごい嫌!)。だから、「性の専門家」がDIY方式で学ぶことや個人を力づけることをいくら推進しようとしても、人々はそれでも及び腰になり性教育は専門家のアドバイスを必要とするものだという考えをもってしまうのです。
 このことを打ち破るには、DIY性教育を自分のために学ぶということだけではなく、教えるという観点から話をする必要があると思います。教えることは力強い役割であり、それは性教育が「受ける」ものではなく「やる」ものであるなら、含まれなければならないものです。
そのためにできることがいくつかあると思います。
ひとつはDIY性教育や性教育をじぶんたちの
ためにやる事として話をすることです。あるいは「セクシュアリティを探求する」という言い方で通用するならそのことについて話をするのもいいでしょう。
もうひとつは、先生と生徒という状況だけではなく、性教育プログラムの中で会話をすることです。(省略)
 私は他のDIYプロジェクトに目をむけるのも役立つことだと思います。たとえばクラフトやテクノロジーハッキングのようなものです。編み物の場合、編み物をする人たちは、お互いの技術のレベルやその時模索している内容について見せ合ったり話し合ったりします。編み物をする人たちが公共の場で集まると、様々なスキルや知識を目にしたり、多くの編み物をする人たちがじぶんたちの本を出版したり、ウエブサイトさえないのに素敵なものを作っていることが一目でわかります。
 少し前にDIY政治運動(90年代とか)はこのように人前に出ることに関して、様々な方法を使って成功しました。私はブラッドシスターズというモントリオールのオルタナティブな月経用品に商店をあてたグループのステッカーを持っていました。そのス哲多―には「ラディカルな月経について聞いて頂戴(“ask me about radical menstruation”)」と書いてあって、それは良かったと思います。
 最近わたしは似たようなバッヂを作るようになって、そこには「避妊について聞いて頂戴(Ask me about birth control)」あるいは「セックスの安全性についてきいて頂戴(Ask me about sex safety)」とかかれています。これらはしらない人と話すのに適しています。もしじぶんもそうしたいという人がここにいれば、(省略)、そのバッチの一番いいところは、誰かがあなたがつけているバッヂについて聞いてきたときに、その人のも渡してあげればその人もDIY性教育者(DIY sex educator)になれるということなのです!
人々は素人の性教育者がうろうろしているのは怖いことだと思いがちです。その人たちがよくない答え方をしてしまったら?というように。私は性についてはなすのはいつでもいいことだと思っています。
たとえ、性に関する質問に関して、ある人が言えることが「よくわからないけど、☆☆☆で聞いてみるといいと思うよ。」だけだとしてもそれは性教育をやっているということだと思います。たとえそれさえできなくても、言える事が「よくわかんないけど、面白いね。なんでそんな質問をおもいついたの?」だけだったとしてもそれも性教育をやっていることになります。それは質問をして、セクシュアリティを研究することになります。
 これが私の考える、正規の性教育を補完するためのアイディアです。性教育をやることは、じぶんたちが知りたいと思うことについて、そしてお互いや自分たちじしんを教えあうことについて責任をもつことだということを思い出せば、あとは話しをしつづけるだけです。
(最後のあいさつ省略)
+++++++++++

(注)Our Bodies, Ourselvesアメリカで最初に出版され、日本でも翻訳に加えて日本にあった情報が追加されているバージョンが出版され、他にも何ヶ国語にも翻訳されている女性の健康運動の中のベストセラー。
(注).Bloodsisters http://bloodsisters.org/bloodsisters/
血姉妹http://bloodsisters.or.kr/ 
(注)「セックスの安全性」=sex safetyとは、セーファーセックス/より安全なセックスに代わる言葉としてこの話をしている人が思いついた言葉。この方がだれかのルールを守るか失敗するかという二者択一よりもセックスを安全にするコツおしえたりおしえられたりするという関係が作られるのでいいという感じの発想であるようです。


以下のページよりグレフルが日本文にしました。
http://myvag.net/talks/diy-sex-education/
この文章含め、このサイトにあるものはほぼすべて CC(クリエイティブコモンズ)ライセンス Attribution-NonCommercial 3.0 Unported というもので保護されています。これによると、非営利である限り、再使用したり、好きに形を変えて配布していいと著者が考えていることになります。

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