『魔女・産婆・看護婦──女性医療家の歴史』

た またま調 べていて、パンフとして買った「Witches, Midwives, and Nurses: A History of Women Healers」が92年に日本語(長瀬久子訳『魔女・産婆・看護婦──女性医療家の歴史』 法政大学出版局に訳されて出版されていることがわかった。) 英語版は web上でも読める。こちら。
日本語訳はこちら。

女・産婆・看婦──女性医療家の史

この本の簡単な紹介もみつけた(自分でするのがめんどう)。こちらのページから以下に引用。

  近年では医学部に入学する女性がかなり増えてきたが、依然として医師は、男の職業という性格が強い。これに対して看護職は、圧倒的に女性の職業である。医 師が治療し、看護婦が世話をする。医師が上司であり、看護婦は部下である。収入も社会的評価も、医師の方がはるかに高い。
両者の関係は、男性と 女性の間の不平等の典型例であり、縮図である。そればかりではなく、医師が評価の高い男性向けの職業となっていることが、医療のあり方に歪みをもたらして いる疑いもある。男が地位と権力を手に入れる手段として、医療が利用されている可能性があるからだ。
B・エーレンライク、D・イングリシュ著「魔女・産婆・看護婦」(法政大学出版局・二二六六円)は、医療のこうした仕組みが形成された背景を、中世の魔女狩りにまでさかのぼって論じたもの。
魔女とみなされて処刑された女性たちの多くは、経験から蓄積した技術をもって民衆を治療した女性医療家や、出産の手助けをした産婆だった。彼女らへの弾圧を画策したのは、支配階級に仕える男性医師たちである。弾圧は成功し、男性医師たちは権限を独占し、高い地位を得た。
医療から追放された女性たちは、後に看護婦という形で再び医療へと組み込まれていく。しかし彼女たちの役割は、「医師には絶対的服従という妻の務めを捧 げ、患者には母の無私の献身を捧げ」ることだった。その反面、看護という役割を免除された医師は、格上げされたのである。
原著が出版されたのは、一九七三年。ウーマンリブ運動の初期にその活動家によって書かれた本書は、一気に読ませる熱っぽさをもっている。訳文も大変読みやすい。
大和岩雄著「魔女はなぜ空を飛ぶか」(大和書房・二〇〇〇円)によると、魔女が空を飛ぶのに使うほうきは、男根を意味すると同時に、産婆の象徴でもあるのだそうだ。引用の多い切り貼りのような本だが、一三〇枚も収められた図版が楽しい。

こちらの訳本は私が欲しくて買いそびれてるパンフComplaints and Disorders: The Sexual Politics of Sicknessも一緒に訳されている。
こちらも日本語で紹介、引用したサイトを発見。(発見といっても10年以上前に出版されてる・・)

十 九世紀頃の医療に関して、女性の側から論じた書籍。魔女狩りが上流階級の下級階級に対する抑圧の側面を持っていた事、経験主義的な産婆から観念主義的な男 性の医者へと取って代わられた理由など、医療に関する様々な事が述べられています。メイドさん関係は『女のやまい』に載っています。
………………
家事使用人、つまり「門のなかの他人」はそう簡単には追い出せなかった。なしでは済まされないが、信用できるだろうか? 二十世紀の二、三〇年代を生きた ことのある人の言うところでは、「銀器か何かがなくなれば、召使いが取ったに違いなかった。家族のだれかが病気になれば、当然、召使いが何か運んできたと 疑った」。
「腸チフスのメアリ」事件は、家事使用人からの感染の危険性に公衆の注意を釘付けにした。この事件に関する短い記事から、その劇的衝撃を知ることができる。
メアリ・マロンは、オイスター・ベイ、パーク・アヴェニュー、サンズ・ポイント、メーン州ダーク・ハーバーなどの上流階級地域で働くアイルランド系アメリ カ人のコックだった。彼女の人物保証書は立派なもので、雇い主は彼女の料理を好み、一家の災難に直面した時の彼女の落ち着きに感銘を受けたものも多かっ た。主人の一家が惨事に遭うのが、マロン女史の職業生活の特徴のようだった。
一九一五年に彼女が最後に隔離された時、彼女のかつての雇い主たち の家庭には五二人の腸チフス感染者が出ていた。そのうち三人は重態だった。雇い主たちは腸チフスが発生しても、ニューヨーク市保健局の厳格な検査が、マロ ン女史を被告としてあばくまで、家庭内のだれか他の使用人のせいにしがちだった。実験室の試験の証明では、彼女は自身は発病しないが、腸チフス菌の保菌者 だった。一九〇七年に彼女は始めて拘束され、イースト・リヴァーの小さな島の隔離所に入れられた。三年後、コックをしないという条件で誓言して釈放され た。一九一三年、誓言を破って追放された。二年後にまたしてもコックとしてクィーンズ病院に現れたがここも、腸チフスに襲われた。
マロン女史 は、自分は腸チフスで発熱したこともなく、保菌者でもなく、宣伝効果をねらった保健局の役人の罪のない犠牲者だと、いつも言い張った。一九〇七年に保健局 の役人が彼女を拘束しに来た時、彼女はまず肉用の大フォークで抵抗し、次に裏の窓から逃走して、樽でバリケードを築いた。彼女はただちに車で公衆衛生実験 室に運ばれたが、公衆衛生局の名高いジョセフィン・ベイカー博士が彼女を押さえ付けるために胸の上にのしかかっていた。一九一五年の彼女の最後の逮捕は ニューヨークタイムズによれば、またしても窓や裏庭を駆け抜けて追いかけっこをする「第一回と同様活発」なものだった。
これは細菌ゲリラ戦の最 も過激なものだった。新聞の日曜付録はマロン女史が死神の姿でフライパンにガイコツを投げ込んでいる漫画を掲載し、ニューヨークタイムズは、人物証明書を 徹底的に調査しないで召使いを雇う危険性について、重々しく解説した。腸チフスのメアリは、手に触れる一切を毒する「病原菌として」の女性のシンボルとし て伝説のなかに生き残った。(『Ⅱ 女のやまい』の『労働階級の「病原菌」としての女性』の中の『労働階級の女性の持つ特別な危険性』より)
………………
この中では、十九世紀に於いては、上流・中産階級の淑女は病人として、下層階級の女性は病原菌そのものとして扱われて来た事を語っています。

ついでにこのパンフにも言及した歴史サイトのコラム。
Why Only Women Get Hysterical
日本の助産婦歴史を研究した大林道子の情報。こちら

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